「村田 沙耶香」さんの「コンビニ人間」を読んだ感想とメモを書いています。
目次
基本情報
本のタイトル | コンビニ人間 |
本の評価 | |
著者 | 村田 沙耶香 |
出版社 | 文藝春秋 |
発売日 | 2016/7/27 |
感想
- 人間味がない主人公の古倉だが、妙に好ましくなる。それは主人公が思うことに共感してしまうからだ。
- 例えば、古倉と同棲したときには、どんどん話が飛躍してしまった。一方で今まで人間味のなかった古倉が人間として周囲に認められていて、親しみを感じている様は、なにか気持ち悪さを感じた。
気づき
- 社会の歯車になる感覚は、何かの一員になる感覚に近いんだと思う
- 仕事をやめて就職活動をしている時に、なかなか仕事が決まらず焦っていた時期がある。あの時の焦燥感、社会から必要とされていない感覚に近いんだろうか。
印象に残った言葉や表現
ページ
そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。
この感覚は、誰かの役に立った、必要とされているという感覚なのだろうか。
家族にも自分は変わっていると認識されて居場所がなかった。しかし、コンビニが安心できる場所になった瞬間なんだろう。
ページ
皆、私が苦しんでいるということを前提に話をどんどん進めている。たとえ本当にそうだとしても、皆が言うような分かりやすい形の苦悩とは限らないのに、誰もそこまで考えようとはしない。そのほうが自分たちにとってわかりやすいからそういうことにしたい、と言われている気がした。
所詮、人は自分が見たいものしか見ないし、認識しない。
勝手に想像して、失望して、諦めている。分かりやすい演出を好み、どうでもいい話を延々としているのは嫌になる。わたしは他人に興味が無いので、妄想で補完する人の気持ちが分からない。
ページ
「え、自分の人生に干渉してくる人たちを嫌っているのに、わざわざ、その人たちに文句を言われないために生き方を選択するんですか?」
それは結局、世界を全面的に受容することなのでは、と不思議に思ったが、⋯
他人にとやかく言われたくないし、言いたくない。好きに生きればいいと思う。
わたしも昔は周りにどう思われているか、とても気にしていた。だけどそんな生き方はつまらないし、そんなどうでもいいことに時間と心を気にしているだけムダ。自分が望む生き方をすればいい。
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